勝連城跡 沖縄本島【世界遺産】に女子旅してきました!

勝連城跡 沖縄本島【世界遺産】に女子旅
沖縄本島中部、東海岸に面する“うるま市”にある勝連城跡。読み方は「かつれんぐすく・かつれんじょう」です。

勝連は、独自の外交や貿易で大きな財をなしていたと言われ、最後の勝連城主であった阿麻和利(あまわり)は、偉大な王として慕われていたとそうです。

そこでは、様々な歴史ドラマが繰り広げられました。
現在は「勝連城跡」として石垣が残るのみですが、沖縄の世界遺産の中でも最古の城(グスク)であり、その上からの眺めは素晴らしい!の一言。

東海岸の海中道路からもほど近い観光名所ですので女子旅にいかがですか?

今回は、勝連城跡に行ってきましたので、見どころの紹介や、勝連城跡へのアクセス方法、おすすめのお土産などを紹介します。

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もくじ

 

勝連城跡へのアクセス

車でアクセス

勝連城跡へ車でアクセス
勝連城跡へは、沖縄自動車道「沖縄北」インターチェンジから車で約20分です。(インターチェンジは「沖縄“南”」もあって紛らわしいので、間違えないようにしてくださいね)

駐車場は、勝連城跡休憩所前に無料の駐車場があります。
カーナビにセットする場合は、
・マップコード 499 570 238*21
・勝連城跡休憩所 (勝連城跡ではなく)

をセットする方が良いそうです。
詳しくは公式HPのトップの記載をご確認くださいね。

バスでアクセス

最寄りバス停は「勝連城跡前」もしくは「西原」です。

◆沖縄バス52番 与勝線(那覇バスターミナル方面から)は「勝連城跡前」
⇒時刻表はこちら

◆琉球バス 227番 屋慶名(やけな)おもろまち線 は「西原」
⇒時刻表はこちら
「西原」停留所からからは約10分程度歩きます。

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それでは勝連城跡へGO!

勝連城跡
勝連城跡は入場料不要で、無料で入ることができます。
勝連城跡休憩所
駐車場にある“勝連城跡休憩所”は観光案内所にもなっており、事前にパンフレットなどを入手しておくのもいいかも。飲み物は自販機で買って行きましょう。暑い日には水分補給は必須です。

所要時間ですが、1時間程度の時間を見ておけば良いかと思います。速足で歩けば30~40分程度で回ることもできます。

また、休憩所の開館は18時までなっていますが、城跡は、見学時間の制限もありません。ただし、照明がないので日没後の見学は控えた方が良さそう。

ライトアップなどしてくれればよいのですが……現在のところ、たまにイベントがある以外は特にライトアップはしていないそうです。

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勝連城の構成

勝連城は5つの曲輪(くるわ)から構成されています。
写真を見ると、城壁がぐるっと回っているのがわかりますね。これは、敵が攻めてきた際に長い距離を走らせて消耗させるためです。
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現在は、城壁の中には観光用に階段が作られていますが、当時は滑りやすい石畳であったため、ここを走って登るのは大変だったろうなと思います。
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登っていくと、海が見えてきてテンションが上がりますよ。
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階段の最後はこの写真のような石畳になっていて、とっても滑りやすい!
まちがってもヒール靴で来ないでくださいね~ビーチサンダルも滑りそう。
沖縄観光は、基本的にはスニーカーが鉄則かもしれません。

かつてはここに「三の曲輪城門」といって東大の赤門のような四本足の門があったそうです。

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三の曲輪

三の曲輪
三の曲輪からでも充分海が見えますね~
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でも、まだあの上まで行きますよ~
その前に、三の曲輪を回ってみましょう。
勝連城「三の曲輪」は、昔は建物やため池があったそうなのですが、勝連城が落城してからは祭祀の場所として使用されるようになりました。
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この木の下の石の列はトゥヌムゥトゥと言われ、神人(かみんちゅ)と呼ばれる祭祀を行う方たちが腰かけて休憩されたとか。

二の曲輪

二の曲輪
勝連城「二の曲輪」に登ります。
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大きな建物があった跡です。柱の多さは首里城を思わせる構造で、おそらく勝連城の中では最も重要な建物だったのではと言われています。

また、周辺からは瓦が発掘されていることから、当時の主流であった板葺きではなく、瓦葺きの屋根の建物であったという説も。

日本では、主に寺社の屋根に使われた瓦葺きが、城に用いられ始めたのは戦国時代後期(1500年~)ごろからと言われているので、1458年に落城した勝連城がすでに瓦葺きであったというのは、いかに先進的なお城であったかというのがわかります。
ちなみに、沖縄には世界遺産登録されている以外にも多くのグスク(城)がありましたが、瓦葺きであったのは、勝連城のほかに首里城と浦添城だけです。

浦添城は、首里城ができる前の王の居城であったことから、勝連城がいかに反映していたかがわかります。
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個人的に一番の難所であった、一の曲輪への階段へ至る前の石畳。
とっても滑ります。

琉球石灰岩は、濡れるとさらに滑るので、雨の日や雨の次の日に行かれる方は注意してくださいね…ちなみに沖縄の道路には琉球石灰岩が多く含まれているため、雨の日のスリップ事故が多いので要注意!というのは地元の常識だったりします
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一の曲輪に至る階段は、やはり敵の侵入を防ぐために、登るにつれて徐々に狭くなるように設計されています。

一の曲輪

一の曲輪
勝連城跡「一の曲輪」に到着。金武(きん)湾から太平洋まで広く見渡せるオーシャンビューの見晴らしが素晴らしいです。
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この岩は勝連を守護する霊石です。
玉ノミウヂ御嶽(うたき)と呼ばれ、村の繁栄を祈願していました。岩の表面が平らであることから、当時ここにあった宝物殿のような建物の礎石に使われていたのではと言われています。
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岩の横にある穴はかつては二の曲輪とつながっていて、いざという時の脱出ルートだったとも言われています。
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これがつながっていると言われる二の曲輪の「ウシヌジガマ」です。沖縄の言葉で「ガマ」というのは自然にできた洞窟を意味します。「ウシヌジ」というのは「身を隠す」という意味だそうです。
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南側の景色。
勝連城跡は与勝半島に位置しているので、四方向の内、三方で海が眺められるという抜群の景観を誇っています。
東側からの朝日が昇る眺望も素晴らしいそうなので、沖縄旅行で早朝に勝連城に訪れてみても良いかも?

四の曲輪

下って、今度は勝連城「四の曲輪」です。
四の曲輪には井戸が2つあります。
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こちらは「ミートゥガー」と呼ばれる井戸です。
「ガー」というのは沖縄の言葉で「井戸」を意味します。「ミートゥ」はmeetではなく、夫婦のことです。

実はかつて男女が逢引をする場所だったそうで、「縁結びの井戸」とも呼ばれています。
水汲みは女性の数少ない外出の機会だったのでしょうね。

しかし、「ミートゥガー」で結ばれた男女が別れると、どちらかに不幸が訪れるという恐ろしい言い伝えもあったりします。

そのため、この泉のそばで恋バナはしない方が良いそうです……
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この井戸は「ウタミシガー」と呼ばれています。
「ウタミシ」はお試しを意味します。ウタミシガーでは、旧暦の元旦に水の量によってその年の作物の実りを占ったそうです。
水が豊富であれば不作、水が少ない時は豊作という言い伝えがあります。
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綺麗に並んだ勝連城の城壁。
沖縄には、勝連城含め様々な城跡がありますが、よく見ると城壁の石の積み方などに違いがあり、それぞれの特徴を見比べてみるのも興味深いですよ。

うるま市オリジナルのお土産を買おう!

うるま市オリジナルのお土産
勝連城無料休憩所の奥は、うるま市オリジナルの商品を買うことができるショップになっていて、美味しそうなものがたくさん!
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食品だけでなく、グッズもあります。
タンブラー可愛いですね。
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こんなにあったら迷っちゃいますね~
おすすめなのは「うるまジェラート」です。沖縄オリジナル食材を使用したジェラートが多数。うるま市内にお店もあります。
うるま市のおばあ
小上がりの座敷もあって、おばあちゃんもくつろいでますね~……って、
人形?マネキン?
実はこちらは「うるま市のおばあ」として有名なアート。
その名も「東江(あがりえ)ツル」さん。(「東江」は沖縄ではメジャーな名字で「東江メガネ」という企業が有名です)
実はツルおばあは3人いて、うるま市のあちこちでみんなを見守っているのだとか……!
うるま市を観光する際はぜひ探してみてくださいね!

世界遺産、勝連城跡の女子旅
世界遺産、勝連城跡の女子旅、いかがでしたか ?
こちらの紹介で、沖縄のお城に少しでもご興味をもっていただければ幸いです。
勝連城跡についてはHPが充実しており、スマホからバーチャルツアーや解説を入手できますので、是非ご覧になってくださいね!

最後に、勝連城の歴史を紹介します。

勝連城の歴史

勝連城の歴史

勝連城の築城と按司(あじ)

もともと勝連の地は、先史時代から古代人が生活しており、貝塚時代の土器も発掘されています。この地にお城の築城が始まったのは、12~13世紀ごろからと言われています。

「中山世艦」(ちゅうざんせいかん)という沖縄の歴史書によれば、琉球王国成立前の英祖王(えいそおう)統から勝連の按司(あじ:王家の分家筋にあたる血筋や豪族や権力者の称号)が出て、勝連按司は10代目まで続いたそうです。

1-2.阿麻和利(あまわり)による勝連の繁栄

10代目の勝連按司であった阿麻和利(あまわり)は、人々からの信頼も厚く、海外貿易を盛んに行いました。当時の歌謡を集めた「おもろそうし」によれば、勝連の繁栄は日本の鎌倉に匹敵するほどだったとも言われています。

勝連がどれだけ栄えていたかという証拠として、勝連城跡からは、中国は元の時代に生産された青磁の染付などの渡来の工芸品だけでなく、3.4世紀に地中海を支配していた古代ローマ帝国のコインなども発掘されています。

奈良の正倉院にも、かつて世界との交易を行った舶来の品が多数納められていますが、古代ローマのコインが発掘されたのは、日本では勝連城跡だけです。

海上交易が盛んだったタイやベトナムでは同様のコインが見つかっていることから、古代ローマのコインは「西域」と呼ばれたヨーロッパから、インド洋を経て東南アジアに至るシルクロードの「海の道」を経てきたのでないかとも言われています。

.悲劇の王女 百度踏揚(ももとふみあがり)

さて、海外交易によって大きな経済力も得て、繁栄する勝連を不安視していたのが、当時の琉球王国(第一尚氏王朝)です。勝連は、琉球王国の治める土地ですから、阿麻和利(あまわり)には、あくまで地方領主という位置づけでいてもらわなければなりません。

そこで、当時の国王・尚秦久(しょうたいきゅう)は、「国の花」と称えられるほどの美貌をもつ王女の百度踏揚(ももとふみあがり 百十踏揚とも)を阿麻和利に嫁がせることにしました。政略結婚です。

しかし、ほどなくして起こったのが、祖父である中城城主の護佐丸(ごさまる)と夫である阿摩和利が戦うことになる「護佐丸・阿摩和利の乱」です(1458年)。
護佐丸は、かつて今帰仁城(なきじんじょう)を攻め滅ぼした功績がある勇猛な武将で、この時は中城城の按司を務めていました。

護佐丸は王府に叛意ありとして、阿摩和利に滅ぼされます。
一旦は収束したかに見えた反乱ですが、百度踏揚は、夫の阿摩和利がこの勢いに乗じて首里を陥落させようと計画しているということを知ってしまい、従者の越来賢雄(ごえくけんゆう、鬼大城(うにうふぐしく)とも呼ばれる)と共に王城に逃れます。

結果的には、夫の阿摩和利を従者であった越来賢雄が討ち果たし、勝連城は落城します。これも1458年のこと。百度踏揚は1年の間に、祖父・夫を戦で亡くすことに。

その後、踏揚は新しく勝連城主となった越来賢雄と再婚するのですが……越来賢雄も勢力争いの中で殺されてしまうのです。

また、父亡き後に王位にあった踏揚の異母弟・尚徳王(しょうとくおう)は、参詣で赴いた久高島(くだかじま)の美女に心を奪われている間に、父の尚秦久の重心であった金丸が尚円王(しょうえんおう)を名乗り、ここに第二尚氏王朝が始まるのです。1462年のことでした。

第一尚氏王朝の姫であった踏揚は、本島南部の玉城村(現在の南城市)に逃れ、ひっそりと余生を送ったということです。

祖父や父を夫が攻め滅ぼそうとする……さながら日本の戦国時代のようですね。
「護佐丸・阿摩和利の乱」やその後のクーデター疑惑についての真相は不明であり、果たして誰が正しかったのかどうかは謎のままです。

阿摩和利(あまわり)は、琉球正史では王家に歯向かったとして悪役扱いなのですが、「おもろそうし」などからは当時から偉大な王として慕われていることもうかがえます。

このあたりの関係性が非常にドラマティックということもあり、最近では、沖縄の舞踊である「組踊(くみおどり)」を取り入れたミュージカルの題材にもなっています。

☆肝高の阿麻和
https://www.amawari.com/

個人的には、絶世の美女である王女様の百度踏揚を、従者の越来賢雄がずっと影からお慕いしていて、踏揚と阿摩和利は政略結婚ながらラブラブだったんだけど、さすがに父を殺されそうになったら逃げるしかなく、その過程で越来賢雄とも愛が芽生え……といったような感じであってほしい。

そして配役は…などと想像(妄想?)できてしまうのですが、こうしたバックグラウンドの歴史をある程度頭に入れておくと、勝連城跡の散策もより楽しめますね~

勝連城だけでなく、今帰仁城にも絶世の美女の言い伝えがあったり、沖縄の歴史を調べてみるとかなり興味深いものが多いのです。

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